ハキダメ

ダメ人間の妄想の掃き溜め

ギャップ(TEXT)

ハッピーじゃありません。ご注意ください。短いです。



 一か月ほど留守にしてアジトに戻ると、部屋が荒らされていた。
 角都は壁に印刻された丸と三角の模様を見つめた。鎌の切れ味が鈍っていたのか壁の傷がささくれ立っている。木屑が撒かれた机の上にも同じマークがペンで描き殴られ、床に散らばる書類には茶色く乾いた足跡がべたべたとついている。ベッドのマットは大きく切り裂かれていたが、その全体には血がしみ込み、特有の臭いを放っていた。
 あちこちまだぬるりと湿っている、軽い板のような毛布を持ち上げると、マットの穴に埋まるようにして飛段がいた。胎児のように丸くなっている飛段は、乾いた血でまだらになっている顔に見開いた眼をぎょろりと回し、自分を見おろす相棒に視線を向けた。瞬間、狂気を見た、と角都は思った。
「あー。かくずー」
 飛段の声は割れてしゃがれていた。遠い国で、修業を終えた僧がこんな声を出すのを聞いたことがある。角都は毛布を壁に立て掛けると、これだけは無事だった椅子を起こし、ベッドから距離を取って腰をかけた。

 メリメリと剥がれる音をたてて、飛段が身を起こした。胸部にはまだ生々しく盛り上がった肉芽がある。よく見ればまわりにも似た傷があり、刺突行為が繰り返されていたことが伺えた。角都は黙ったまま相棒を見据えた。
「よ、ひさしぶりィ」
 無残な状態のベッドに座った飛段は、右手に握ったままの杭を手から離そうとしたが、膠のような血でかたまりついた拳はなかなか解けず、やがて諦めてそのまま杭をマットに突き刺した。
「仕事、うまくいったのかよ」
「ああ」
「一週間っつってたのによォ、ずいぶんかかったじゃねーか」
 飛段は俯いたままだ。肌も髪も褐色に染まっており、壁にもたれて脚を投げ出している飛段は大きな木偶のようだ、と角都は考えた。
「これは、どういうつもりだ」
「あー…あは、は。ちっとやりすぎたかな。へへへ」
 相手の肩をつかんで揺すぶりたい衝動をどうにかやりすごした角都は、言うべきと思われた事柄だけを口にした。
「俺は不死ではない。知っているだろう」
「こんなベッドじゃあ休めねぇな。オレの部屋で…」
「飛段、聞け。俺は不死じゃない、死ににくいだけだ」
「おめー疲れてるんだろ、角都。話は後にしよーぜ」
「相棒が死ぬことぐらい覚悟しておけ。ありふれたことだろうが」

 飛段は垂れた頭をかすかに動かした。頷いたようにも、かぶりを振ったようにも見えた。角都は椅子を鳴らして立ち上がった。
「わかったなら出て行け。お前がバカをやったおかげで部屋を片付けなきゃならん」
 飛段の頭の動きが少し大きくなった。うわごとめいた小さな声が漏れる。いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ。
「お前が行かないのなら俺が出ていく」
 足音を立てて角都が出て行き、ドアが乱暴に閉められた。どれほど何が共通しようと二人は別個の人間なのだった。飛段は奥歯を軋ませ、項垂れたまま目を堅くつぶった。