ハキダメ

ダメ人間の妄想の掃き溜め

万病のもと(TEXT)

バカ犬のような飛段と狸寝入りをする角都の話。


 昨日今日と角都の小言が減ったとは思っていた。もともと口数の多い男ではないし、あまり気にとめていなかったのだが、移動の道中、飛段はふと思いついて尋ねてみた。
「おめー、もしかして風邪とかひいてる?」
 返事はない。否定しないということはイエスだ、と飛段は納得し、すっかりおもしろがって、不機嫌そうな相棒の顔をじろじろ眺めた。
「へええ、風邪かよ!喉いてぇのか、かわいそうになぁ角都!」
 角都は眉をひそめたが何も言わなかった。言えないのであった。数日前にひどく寡黙な男とやりあい、角都はその口を裂いて殺したのだが、多分そいつがこの厄介な風邪をもたらしたのだろう。終えた後に汚れを落とすべきだったのだ。とにかくこう喉がやられてはどうしようもない。

 一方飛段は楽しくて仕方なかった。小言を言わない角都!なんという理想の相棒だろう。期間限定なだけにいっそうお値打ち感がある。
「熱ねーのかよ?気持ち悪くねー?休もーか?オレ看病してやるぜ!」
 そーかぁ角都も人間だもんなぁとハエのようにまとわりつく飛段を、角都は無視しようと努めた。殴っても良いが体力がもったいないし、第一キリがない。
「なー角都、今日会う情報屋、あの小デブの赤鼻ジジィだろ。キーキー声の。ま、オレが話をつけてやるからよォ、心配すんなよな」
 病のせいばかりではなく角都は悪寒を感じた。飛段に交渉を任せたら、仕事はおろか信用も失ってしまう。角都自身が筆談すれば良いが、その間飛段がおとなしく待つとは思えない。表の電柱に飛段をつないだら目立つだろうか?首を切っても騒がしい男をどう扱えば良いのだろう。

 街中に入ると状況はさらに悪化した。飛段が目についたものにすぐ反応するのはいつものことだが、今日の角都はヒョコヒョコいなくなる飛段を呼び戻すことができない。見捨てて先を急げば、背後から大声で「てめー病人なんだから離れんじゃねー」と叫ばれる。角都は大いにイライラし、飛段の鎌の柄をつかまえて動きを止めようとした。
「なんだよ角都ゥ、置いてったりしねーから心配すんなって」
 殺意をこめて睨む角都を、飛段はニタニタしながら見返した。
「手ェつなぐか?」

 飛段の躁状態は昼時に入った定食屋でも続いた。病人は精つけねーと、とレバ刺しを注文してしっかり自分も食し、支払わないくせに奢ったような満足げな様子の相棒を角都は苦々しい思いで見やった。食えよォ、と口元まで運ばれたレバ刺しに懐柔されてしまった自分も腹立たしい。無駄な出費を抑えるためには、早いところ用件を済ませて街を出るに限る。
 しかし、情報屋の方がいけなかった。

「あいつ死んだってよ、角都」
 話せないだけで耳は聞こえるというのに、いちいち仲立ちしてくる飛段を背後に押しやり、角都は情報屋の手下と筆談をした。状況が変わろうと仕事は仕事である。死者が積んできた経験は失われたが、手下もそれなりに有能だった。
 新しい賞金首の情報をビンゴブックに書き写す角都の隣で飛段が手下と会話した。情報屋の最期はあっけなかったらしい。寿命だったんだろ、と手下は屈託なく笑った。それなりに長生きしたし身内もいなかったみたいだし、風邪こじらせてコロッと逝くなんて最期も悪くないよな。
 こうして後を継ぐ者が看取って死を伝えてくれるのだから、稼業を考えれば確かに恵まれた最期だろう。取引を終えた角都は頷いて弔意をあらわし、案じていたよりはるかに行儀が良かった飛段を引き連れて場を辞した。用を終えた今、角都としてはすぐにでも街を出ていくつもりだったのである。

 骨董屋を模した隠れ家を出ると、妙なことに飛段は先程と打って変わって無口になり、角都の腕をつかんで足早に歩き始めた。常なら絶対に入りたがる見世物小屋(「哀れ河童少女!親の因果が子に報い!」)も素通りする。相棒の気まぐれには慣れている角都だが、そのまま安宿に連れ込まれそうになってさすがに足を止めた。夕方とはいえまだ明るく、しかも晴れていて、先の道中には豊かな森があったし、つまり野宿を避ける理由はどこにもなかった。
 飛段は動かなくなった角都を無理やり引っ張り、うまくいかないと見て取ると背後に回って押した。家畜か箪笥のような扱いにムッとしている角都を、やけに必死に説得しようとする。
「ここ入ろうぜ、角都。なぁ、いいだろ一日ぐらいゆっくりしたってよォ」
 怪訝な顔のまま動こうとしない角都に飛段はダメ押しの言葉を吐いた。
「オレが払うからさァ!」

 部屋に入ると飛段は急いた様子で床を延べ、状況が読めずにそれを眺めていた角都のコートを脱がせると布団に押し倒した。誘われているのか、と少し期待をしてしまった角都は、黴臭い掛け布団を蒸すように掛けられて自分の認識が間違えていたことを悟った。
 布団の傍に座り込んだ飛段は角都を見下ろし、死にぞこないのジジイは寝てろ、と横柄な言葉をいやに不安そうに口にした。言ってから口をへの字に曲げ、ぎこちなく掛け布団の縁をなでる。どうやら情報屋の件に影響され、今さら角都の病が心配になったらしい。
 アホらしいと起き上がった角都は、呻り声をあげる飛段に再び布団の中へ押し戻された。撥ね退けるのは容易だが、後の騒ぎを考えるとそれもわずらわしい。しばらくそのまま寝たふりをし(角都自身、非常に嘘臭いフリだと思った)、いい加減時間がたったころ相棒の様子を静かにうかがった角都は、拳で目を拭う飛段を見てしまい、慌ててまた寝たふりをする羽目になった。
 飛段はしばらくグシグシと泣いているようだったが、そのうち盛大に洟をすすりながら湿っぽい掛け布団の上にのしかかってきた。角都は寝たふりを諦めて、布団の端を持ち上げた。

 角都ゥ、まだ喉いてー?まだ話せねーのか?早く治るといーのにな。
 赤鼻ヤローと違っておめーは心臓五つもあるんだから簡単に死ぬわけねーけどよ。そーだよ、おめーが風邪なんかで死ぬわけがねー。なあ。すぐ治るよな。
 泣いてねーよ。オレ泣いてなんかねーよ。ちっとねみーだけだよ。

 薄い掛け布団の下で、角都はしがみついてくる飛段を引きはがし、鎖を緩めて鎌を背から外させた。雨の日の捨て犬のような湿った生き物がまた懐に入ってくると、狭い布団からはみ出さないようにそれを抱きしめ、己の不節制のせいで騒々しかった一日を終えるべく、改めて目を閉じた。