ハキダメ

ダメ人間の妄想の掃き溜め

喪失(ss)



未明、山犬の声で角都は浅い眠りから覚醒した。静かにあたりを満たす雨音の中、遠くから徐々に近づいてくる吠え声というより鳴き声と呼ぶ方がふさわしい、オオオキャァ、オオオキャァ、と尻上がりに叫ぶ声。今しがたまでの悪夢との境をはっきりさせるためにだるい腕を持ち上げると、誰かがその手を握った。飛段だ。飛段しかいないのだから当然である。現実が角都の中に流れ込んでくる。わずかにせり出した岩庇の下、不快に湿った地面、明らかに狂っている体調。うまく燃えつかないのかくすぶる焚火の匂いがする。妙に暖かく座りの悪い枕は飛段の胡坐だ。その飛段は角都の頭を抱え込むように背を丸め、外部の音を遮ろうとしている。ああくそせっかく眠ってくれたってのに犬のヤロー。情けない声でぶつぶつ呟きながら、飛段は片手で角都の手を握り、もう片手で髪が貼りついた額を撫でた。いいから寝てろよ角都、心配すんな朝になりゃきっと良くなってるって、ホント。冷たい感触が快くて押さえられるままに目を閉じるが、また少しずつ遠ざかる山犬の声に角都の思考は動き続ける。あれは何かかけがえのないものを探し求めている声だ、失って二度と手に入らないものを。自分にはわかる。今当たり前のように傍にいるこれを失えば、自分も闇の中を咆哮しつつ長くさまように違いないから。