ハキダメ

ダメ人間の妄想の掃き溜め

そして不在になる家で(ss)



かつて逗留したことのある街を通過したとき、角都は珍しく懐古の念にとらわれた。夜の井戸を覗くようなそれは個人的なことがらであったので、角都は相棒と別れると、以前の活況が嘘のように様変わりした通りを一人で歩き、寂れた街並みの、さらにうらぶれた一画に黒々と蹲る古ぼけた家屋を訪ねた。軋む扉を叩くこともせず押し開けて奥へ進んだ角都を迎えた男は、これは驚きですね、と驚いたそぶりもなく言った。二度とあなたに会えないのではと案じていたのに、虫の知らせでしょうか、数日前に夢を見たのです、昔のようにいきなり転がりこんできたあなたを匿う、文字通り夢のような夢でしたよ。調子のいい奴だ、と角都は応え、埃っぽい寝台に薄く横たわる男に近づいた。男はにこにこしている。あなたにとってはそうではなかったでしょうが、あのときの一週間私たちはとても充実し、この身が誰かを利するということに生まれてきた意味を見出す思いでした、匿われた礼をするというあなたに死を乞うた私たちは、次に来るときに果たしてやろうというあなたの口約束を頼みに今まで生きてきたのです。毛布を払って男の体をあらわにした角都は、その全身を覆う人面疽に密かに圧倒されながら、痩せたな、と言った。ただちに男と人面疽たちが反応する。ひとつの体に寄生する多数の口が一斉に開くのは壮観だった。ええ、ええ、痩せました、私たちは別人格で構成されていますが死にたいという念ではほぼ共通しているのです、本能に従順な人格が自死を許しませんが、少し食を断つぐらいのことならできますから。男は筋の浮いた片手で角都の手首をつかむと、あなたはまったく変わりませんねえ、と笑った。前と同じくお元気そうだし意地も悪そうだ、それでいて面倒見がいいのだから始末が悪いですよ、過剰に期待をしてしまうじゃありませんか。昔は死にたい死にたいと泣くばかりだったくせに長く生きたおかげでお前も弁が立つようになったな、と揶揄しながら、角都は相手に導かれるままに干からびた枝のような喉に手を置いた。あのときのお前はいくつだった。十四でした、十二年前のことでしたから。十四の子供にしては絵が達者だった、あれらはもう捨てたのか、俺を描いていただろう。こんなやり取りで稼げる時間はたかが知れている。いずれ角都はこの異形の恩人を殺さなければならない。相手がもう心変わりをしているか、あるいはとうに死んでいるだろうと思っていた角都にとって、この展開は誤算だった。街角に置いてきた相棒のことも気にかかる。けれども自分は間に合ったのだという、喜びと悲しみが入り混じる奇妙な誇りが角都をこの部屋にとどまらせた。とぎれとぎれの長い対話の後、約束を果たす角都に男が言う。ああ、ああ、ありがとう、よほどよいところなんでしょうね、いったひとは、だれもかえってこない。