ハキダメ

ダメ人間の妄想の掃き溜め

放っておかれて面白くなかったことについては今は言うまい(ss)



誕生日にとっておきの温泉宿を奢ってやると飛段が言ったとき、くだらんことに金を使うなと言いつつも角都は喜んでいた。相変わらずの無表情だったが眉が少し上がって目が細めになっていたから間違いない。自分のアイデアが珍しく当たったことに気を良くした飛段はコネというコネを使い倒し、とびきり上等の宿を予約した。海に迫った山の中腹にある古めかしい一軒家で、大きな材から削り出された柱や床は黒光りするほどに磨きこまれ、一日に一組の客しか滞在できない。周りには昔話の挿絵のようなのんきな庭が広がり、褐色の湯が掛け流されている屋内の檜風呂も露天の岩風呂も貸し切りである。食事も文句のつけどころがない。当日すべてが整ったところに角都を送り込んだ飛段は自分の首尾にいたく感激し、裏で湯忍仲間の使用人と噂話をやりとりしながら賄いを食って悦に入っていたのだった。夕暮れて気の早い秋の虫が鳴き始めたころ、宿お抱えの蔵元から醸したばかりのふなくちが届いたので、飛段は冷酒のそれとイカの塩辛、翡翠色のタコわさびを角都の部屋へ運んでいったのだが、行燈のぼうとした灯りの中、床柱に寄りかかって座る角都があまりにも静かな佇まいなので逆にびっくりしてしまった。オイオイこんな超スーパーデラックスな宿で辛気臭ぇツラしてんじゃねーよ、芸者でも呼ぶかぁ?俺は静けさを愉しんでいたのだ貴様と一緒にするな、と角都は返しながらウンコ座りをして酒とつまみを手渡す着流しの飛段を睨んだが、皿類がのった盆はしっかりと受け取った。角都の真似をして飛段も開け放された縁側から暗い庭を眺めてみるが、軒の蔦からぶら下がる瓢箪は面白くても、葉を茂らせる梅の古木も咲き誇る芙蓉の花も飛段にとってはつまらないものだ。木や花なんか見ながら飲んでても退屈だろーが。いや、と言った角都は箸でつまんだタコわさびを、つい、と相棒へ差し出した。這い寄った飛段がぱくりとそれを食べると、その箸で塩辛を自分の口へ運ぶ。鈍い飛段はまだ気がついていないが、夜を迎える今、角都が誕生日の祝いに眺めたいのは、庭ではなく室内で乱れ咲く酔芙蓉なのだった。再び箸に呼ばれてまた少し自分に近づく相棒をじっと見ながら、こいつが相手なら杯は二人で一つで充分だ、と角都は考える。むろん布団も。