ハキダメ

ダメ人間の妄想の掃き溜め

独語

政治と宗教は主題にするべきではないのですが、少し毒を吐きます。

ここ最近の国会での動きについて、私はとてももどかしく思っています。政治には個人の事情をこえた判断が必要ですし、国の目標が例えば富であるならそのために特定の国民が虐げられることがあるのは日本だけではなくどこの国でも同じことでしょう。しかし、現在進行形のまだ新しい(と私は思うのですが)被災状況の中で、あのゴタゴタはどういうものなのか。私は疑い深いたちで、これは何か別のものから国民の目をそらすための謀略かとも勘繰りましたが、もしかしたらそうではなく、本当にどの党の誰が首相になるかが彼らの一番の関心ごとなのかもしれません。この震災を政争の具にするのであれば、それがいかに優れた政治家であっても人心は離れていくように思われますけれど。
私の住む地には、震災後何人もの政治家がやってきました。その容姿ゆえに人気のある青年政治家は何か支援物資を当地に持ってきてくれ、住民と並んで写真を撮り、笑顔を振りまいて走り去っていきました。後日その政治家のブログには「みんながんばっていた。ぼくもがんばる」ふうな記事が載りました。せっかくの彼の政治活動が、私にはとても空虚に思えるのです。映画のセリフなら「君はヒロシマで何も見なかった、何も」ということになるのでしょうか。もちろんこれはその政治家のせいだけではなく、限られた時間の中で彼にきちんと要望を伝えられなかった我々に一番の問題があります(これは過去の話ではなく、今現在も被災した私たちは何が必要なのか声を上げなければなりません)。けれども、甘えるようですが、そこも踏まえて政治家の方々には被災地を鋭く見ていって欲しいのです。
瓦礫の中で「これからがんばります」と言う、被災者たちの、絶望のラインの上を左右に揺れながら振り絞られる「がんばり」に国はしばらく頼らなければならないのでしょう。だから、今個々を救えなくとも、その先にあるべき未来を政治家には精一杯考えて議論をしてもらいたい。日本だけではなく、世界中の学者や技術者、危機管理の専門家、もちろん政治家とも連携して、この一カ月、一年、十年後には被災地をどのように復興していくのかビジョンを作ってもらいたい、それが国を問わずこれからの災害時には機能するようなシステムの構築に結び付けば、と願ってやみません。