ハキダメ

ダメ人間の妄想の掃き溜め

独語・スケ5(trash)

なんだかんだとスケッチ話も5話目になりました。こんな日陰の話を読んでくださる方、本当にありがとうございますm(__)m



<スケッチ 5>


 アパートから出るとすぐに汗が噴きだしてきた。まるで湯の中を歩いているようだ。飛段は額をぬぐい、その手をシャツにこすりつけた。
 歩くたびにゴツゴツと路面からの衝撃が腰に伝わる。電話をかけて今日のモデル業を断るべきなのかもしれない。飛段も昨夜はそのつもりだった。久しぶりに会った知り合いとなんとなく色ごとになだれ込んだとき明日のヌードは無理だなと思ったのだ。けれども今朝になってみるとキャンセルするのが惜しくなった。五千円の報酬もだが、あの涼しいアトリエで過ごす時間を失うのが惜しい。角都という男との取り決めで、飛段は毎週水曜日にヌードモデルをしていた。当初、毎週電車でどこかへ通うなんて面倒臭いと思っていたはずなのだが、いつの間にか飛段はその時間を楽しむようになっていた。
 移動中の電車の窓に映る自分の姿はいつもと変わりないように見えた。飛段はだるい体を叱咤しながら駅のホームを歩き、陽の照りつける表へ出た。ロータリーの端に停車していた車のドアを開けて乗り込むと、運転席の角都が眉をあげて飛段の首元をちらりと見た。飛段はふいに思い出す。昨夜の相手は噛み癖があり、前戯のときも背後から飛段にかぶさっていたときも、しきりに首や肩に噛みついていた。昨日はそれで楽しかったが、今、自分の体はどんなありさまなのだろうか。
 目的地に着いて服を脱いだとき、飛段はいやな予感が的中していたことを知る。モデル自身のポーズ確認のために、角都は大きな鏡を飛段から見える壁に貼り付けてくれていた。鏡の中の飛段の体はあちこちがまだらに赤く、腰骨のところにはつかまれたようなあざがある。実際につかまれてできたものだ。涼しいアトリエの中で飛段はじっとりと汗をかく。逃げ場がない。ヌードモデルなのだから体を見せなければならない。
「始めるぞ」
 事務的な角都の声に呼ばれ、飛段は木製の丸椅子に腰を下ろし、前かがみになって両膝に腕をつく。前回からの継続ポーズだ。角都がパレットを持っているのを見て飛段はぞっとする。今の自分を角都は色彩で描くのである。いつもは無駄口が多い飛段だが、今日は黙りこくり、じっと身を固くする。
 五分間の休憩をはさんで二回目のポーズ中、鈍痛がじわじわと腰から広がってきた。壁の時計の長針は何度睨んでも進まずやっと十分を過ぎたあたりなのだが、飛段は背中が痛くてたまらなくなる。腰をかばううちに背を攣ったらしい。恥によるものとは別の冷汗が頭皮からふき出し、顎を伝う。
「わりい、ちょっと休むわ」
 さりげなく中断を言い出したつもりが、声がかすれた。角都は、ああ、と返したきり絵筆を使い続けている。飛段は丸椅子から降りて床にしゃがんだ。一度角都に背を向けたが、自分の背面がどんな状態なのか想像して気持ちが悪くなり、這うようにして丸椅子の後ろへ回り込んだ。
「体がつらいなら、そのへんで横になってろ」
「そのへんって、どこらへんだよ」
 言われてあたりを見た角都は立ち上がり、本が置かれている一角を手早く片付け、石膏像のほこりよけに掛けられていた大きな白い布を床に敷いた。考える余裕もない飛段はその上にうずくまり、布の端を体に掛けて少しでも隠そうとした。固い床の上で痛む背を丸めながら、飛段は角都のほうを見る。椅子に掛けて写真集を眺めている姿は静かにくつろいで見えるが、イーゼルにおかれた画布には大まかな下絵が描かれているだけだ。飛段は自分が情けなくなる。自分はいったい何をしに来たのだろう。他人の家で、全裸で、情事の痕をさらして、まるで露出狂じゃないか。


→スケッチ6