ハキダメ

ダメ人間の妄想の掃き溜め

不安(ss)



破れた襖の下張りに「音」という文字が読み取れて、畳の上で横になっていた俺はなんとはなしに耳を澄ませた。さわさわ、と鳴っているのは笹の葉擦れと水の音だ。宿の前で渡った橋の下に渓流があった。今夜の食事は魚かもしれない。ガラスの窓から夕陽がさしこみ、葉影が壁の上で踊る。きいろい光と灰色の陰。そのまま眠ろうと目を閉じるが、音はいつまでも耳にまとわりつく。さわさわさわさわ、ざわざわざわ、ざあざあざあ。しつこい水音に目を開けばさきほどの破れ襖が目に入る。あの文字は「音」ではない。「昔」だ。そう思い至ったとたん、つい今しがたまで好ましいものであったまわりの音や光がいらぬ記憶を呼び起こし始める。このまま眠れば悪夢に入るだろう。しかたなく俺は壁際へ這ってゆき、だるい背を柱にあずけて座り込む。破れた襖の方は見ないようにする。薬を買いに出た相棒はまだ戻らない。