ハキダメ

ダメ人間の妄想の掃き溜め

五里霧中(ss)



生い茂る草を踏み分けて山道を進む角都は、歩みののろい相棒を待つ間にあたりを見渡し、薄い紗が何層にもおりているかのような景観を眺めた。濃い霧は乳のようにあたりを満たし、ときおりゆっくりと動いて、不意に山々の輪郭を影絵のように映し出すのだった。朦朧とした美に見入る角都をよそに、やがて追いついた飛段はヒャーと言って地面に座りこみ、遠路と湿気と山蛭について滔々と文句を述べ立て、幽玄の世界をぶちこわした。あの気色わりいミミズどもは足に飛び乗ってきやがるんだぜ、くそう体中がベタベタする、あとどんだけ歩くんだよオレぁもううんざりだ、これ以上行くならテメーひとりで行きやがれ、もうコンビは解消だ、おい聞いてんのか角都よお。半分泣きの入った不平を角都はそっけなく一蹴する。ここまで上がれば山蛭はいなくなる、さっさと歩けば苦労も少なくて済んだのだ、恨むならのろまな貴様自身を恨むんだな。なんだとォ!と怒鳴る相棒の頭を軽く小突くと角都は相手の鎌を下ろさせ、コートを脱がせた。飛段の脇腹や首筋には何匹もの山蛭がぶら下がっている。指先に燈した小さな火遁でそれらを焼き取った角都は、続いて相手のズボンをまくりあげ、脛やふくらはぎに食いつく山蛭をやはり丁寧に焼き取り、血を流す傷口の一つ一つをきつく吸って止血をする。愚かな貴様にはわからんだろうが蛭だらけのこんな山だからこそ追手を撒けるのだぞ、少しは自然に感謝しろ馬鹿者。うるせえ、と言い返す声に先ほどまでの勢いはない。実は飛段は混乱している。冷たくあしらわれた不満をぶつけたいのに、自分を冷たくあしらった当の角都は今自分のそばに膝をつき、召使いのように(ずいぶん偉そうだが)傷の処置をしてくれている。耳元の傷を吸われた飛段は、なんとなく俯いて自分のズボンの中を覗く。残念なことにそこに山蛭はいないようである。一瞬遅れて自分の行為を恥じた飛段は、乱暴に相手の頭を押しのけると立ち上がり、念入りに振るったコートを着こんだ。ますます濃くなる霧の中、すっ、と隣に立つ相棒は既にマスクをつけていて表情がうかがえない。フン、貴様のせいで無駄に時間を食った、そろそろ行くぞ。ハァ?誰もやってくれなんて頼んでねーぞ、勝手なことを抜かすなバーカ。憎まれ口を叩きながらも飛段は相棒とその背後に茫洋と広がる霧の世界に目を奪われる。手に負えなくて正体がわからないものほど美しく見えるのかもしれない、とそのとき飛段は思ったのである。