ハキダメ

ダメ人間の妄想の掃き溜め

まるで競馬(TEXT)

「焙られる日」の角都視点です。


 どの生き物もやれるだけのことをやって生きているのだな。俺がそんなことを考えている間に、女は両手の親指を欠いているのを意識させない動きで金を数え、しかしそれをこちらに寄こさず自分の手元に置いたままにした。俺が傍へ寄って金をケースへ詰め始めると女はスカートをたくしあげて脚を見せたが、あまりにそっけない動作だったので逆に気を惹かれた。
「…いい義足だな」
「ありがとう。付け根を見たくない?」
「いや、いい」
 そう、と女は気にした風もなくスカートを直し、俺が金を詰めるのを興味薄そうに眺めていたが、やがて死体用のキャビネットに手を入れるとジンの瓶を取り出した。
 意図を測りかねたが、金を取るのか尋ねると頭を振ったのでグラスを受け取った。炎天下で律義に待っているだろう相棒のことをちらりと考えたが、酒を断る理由にはならないと判断した。
 透明な蒸留酒はよく冷えていた。グラスが清潔なのも好ましく、それを褒めると女が虚を衝かれたようにこちらをまともに見た。
「世辞など…」
 女が言い終わる前に音をたてて扉が開かれ、飛段が入ってきた。理由はわからないがひどく興奮して鎌を振り回し、儀式をすると息巻く奴の首を、叩き割ったジンの瓶で反射的に切り落とした。酒と修理代として札束をひとつ机に置き、耳障りに騒ぐ飛段の頭と血塗れの体をぶら下げて外へ出た。女は初めに叫んだきり黙っていた。後味が悪かった。

 過ぎたことを根に持つのは時間の無駄だが、むっつり黙ったまま後をついてくる飛段に対して俺はしつこく苛立っていた。女に対する非礼もあったが、何よりそれで置いてくることになった金が惜しくてならなかったからである。換金所は重要な情報源でもあり、この稼業で彼らを敵に回すことは自分の首を絞めることに他ならない。あれは投資だ。けれども惜しいことに違いはない。
 背後から飛段が小声で愚痴るのが聞こえた。首はつけてやったが、しばらく血を出るままにしてやったから調子がおかしいのだろう。面倒な気持ちが先に立ってしばらく先を急いだが、だんだん離れる気配に少し気が咎めて声をかけた。
「まだ拗ねているのか」
「拗ねてねーよ!」
 青ざめた顔に汗を浮かせた飛段は過剰に反応した。明らかに無理のある速度で俺を抜き去るが足取りが不確かだ。どうせ死なない男だが、こんな状態で敵襲を受けたら碌な戦闘はできないだろうし、下手をすると金儲けの好機を逃すことにもつながりかねない。それに思い至った俺は新しく苛立ち、原因を作った自分にも腹を立てた。しかし俺にも意地がある。金を無碍にした恨みを忘れるわけには―。

 だが、俺の袖をつかんだ飛段がいやに幼い口調で不調を訴えるのを聞いて、怒りが萎えた。この愚かな男に腹を立ててもしかたがない。価値観が違うのだ。俺の陰に立つ飛段は確かにひどく疲弊していた。瞳の色が褪せて見える。常と違って憔悴している相棒の様子は快いものではなく、俺は相手を怒らせようと揶揄した。
「スタミナ不足だな。それでも忍者か」
「てめーは換金所でなんか飲んでたろうが……ったく、ひとを待たせて女といちゃいちゃしやがってよ」
 返ってきた答えに俺は微かにうろたえた。以前あの女とは寝たことがあった。既に親指は欠けていたが義足はつけていなかった頃だ。暗闇の中、死体の検分台に仰向けになった女と交合った記憶は悪いものではなかった。嫌な記憶だったなら女は死んでいたはずである。
 かつての関係を隠す気はなかったが、女について飛段が尖っているのなら、認めるのは得策ではない。それがわかる程度には俺は飛段を知っていた。
「出されたものを飲んだだけだ。タダだったからな」
「だったらオレの分ももらってこいよ!首落としたりするから飲み損ねただろ!」

 突然、ゆら、と袖に伝わった重みに思わず手が伸びた。しかし飛段は持ちこたえ、手のやり場に困った俺はとっさに相手の武器を掴んだ。考えなしの行為だったが、掴んだ時には自分が何をするつもりなのかわかっていた。
 俺は奴の悪趣味な鎌で左親指の付け根を切り、血の吹き出るそれを相手に突きつけた。飛段は呆としたままそれを見ている。

「飲め」
「…ハァー?てめ、なに言って」
「うるさい。さっさとしろ」
「血が足んねーのなんか水飲みゃすぐ治るっつーの、おい、マジやめ」

 面倒になり、鎌を戻した手で飛段の顎を掴み、口に指を突っ込んだ。血も売れば高いのだ。経済に疎い者の非合理的な言動には我慢ならない。
「飲めと言っている」
 顎を掴む手に力を入れると、諦めたらしい飛段の舌が傷をなぞった。現金なもので、飲み始めると熱心に吸いついてくる。不死身のこいつは存命の知識をほとんど持たない。本当にバテた時には生血が効くという常識も知らないのだろう。
 俺の指をおとなしく銜えている飛段を眺めるのは悪くなかったが、眺められている方はそうではないらしく、反抗的な目で俺をにらみ上げてきた。その瞳の色味が増しているのを見て俺は満足し、少々名残惜しく思いながら指を引き抜いた。
「ゲヘッ…もちっとやり方考えろテメェ!呪うぞコラ!」
「そうか」
 まだ出血する傷を舐めて投げやりに返事をしてやると、飛段の顔が真っ赤になった。
「そーかじゃねー、つーかその指舐めんな!」

 いつもの調子を取り戻した飛段はやはりべらべらと口数が多く、俺はマスクを戻しながら苦笑した。金と女のことを思い返してみたが、もう腹立ちのピークは過ぎていた。済んだことはしょうがない。金が詰まったケースの重みも悪くない。欲に際限はないが、とりあえず俺は戻ってきた日常に満足した。
「調子が戻ったのなら行くぞ。大分時間を食った」
「ハァ?オレのせいかよ、てめーが勝手に、っておい待てよ角都!」
 ガサガサと歩き方までやかましい男は、速度を落としている俺の気遣いなど全く気付く風もない。何が嬉しいのか薄く笑いながら無神経な言葉を吐いて俺を追い抜いて行く。騒ぐ姿に先ほどの色気はなく、そのことに密かに安堵した。

 湿気をはらんだ風が吹いた。遠雷が呼んだ雨が来るのだろう。見当違いの方向に進んでいく飛段を放っておこうかとも思ったが、雨の前に目的地に着きたいのなら遊んでいる暇はなさそうだった。
「飛段、」
 返事は無いが、肩の動きが不自然なのは背後からの音に集中しているせいだろう(飛段の心と体はわかりやすく連動する)。期待に添えるようしばらく間をおいた。
「…方角が違うぞ」
「それ早く言えよクソヤロー!」
 殺して生き延びる競走馬の俺たちにも、たまには褒美があっていい。先の突発的な出費を差し引いても、今日の稼ぎは満足のいくものだった。今夜は宿を取ることを告げるために、俺は鎌を背負う男に顔を向けた。