ハキダメ

ダメ人間の妄想の掃き溜め

サボタージュ(parallel)



 時間はまちまちだったが、飛段はそれでも平日には老人宅を覗きに行った。週末に訪れることさえあった。飛段にはつきあいを苦手とする知人がかなりおり、そのほとんどが女性だったのだが、彼らと別れる口実にバイトはもってこいだったのである。オレさ、借金返すのにバイト行かなきゃなんねーんだよ、わりーけどもう行くわ。飛段にとって不可思議なことに彼女たちのほとんどは怒ることなく理解を示し、何人かは飛段君かわいそうと言って金までくれるのだった。その都度律儀に老人宅を訪ねる友人にシカマルは呆れた。なにも正直にそのたび行くこたぁないだろうがよと言われた飛段はそりゃそーだなとも思ったが、嘘をつくエネルギーを考えると言ったことを果たす方が楽なようにも思われた。
 バイトが順調なわけではなかった。名を角都という老人はシカマルの前情報通り家事全てをそつなくこなし、その合間に自室でコンピューターによる株の売買を行う。土地を貸してそのあがりで暮らしているそうだ、とシカマルが教えてくれた。年金や恩給もあるらしい。なのにさらなる利益を求める角都の金への情熱は飛段の理解を超えていた。そのような中で無視され続ける飛段は相手の不遜な態度にいささか嫌気がさしていた。角都の家にはテレビがなく、そうなると飛段にできることは何もない。
 居間でごろ寝したり縁側であまり狭くもない庭を眺めたりするのに飽きた飛段は、半月ほど経ったころ数日間訪問をさぼった。部屋で居留守を使ってゴロゴロするのに飽きると、金に困った時に不定期に手伝うホストクラブの仲間たちと落ちあい、繁華街をうろついて、愚にもつかないおしゃべりを大いに楽しんだ。誰と何をしゃべったかなどどうでもいい。相手の言葉を茶化し、自分の発言に突っ込んでもらえればそれで自分もそこの一員だ。
 コンビニ前のガードレールに腰をおろし仲間の話にバカ笑いをしていた飛段は、ふとすっかり暗くなった空を見上げ、遠くのサイレンに耳をすませた。音はビルの壁に反射して源を曖昧にしていたが、大通りから外れて旧市街の方へ向かったように思われた。その後カラオケを奢られ、オイラの歌は絶品だろう、うん!と気張る仲間の歌につきあいながらも、飛段はどこかそわそわと落ち着かなかった。楽しいはずの時間が胸の中に重たく淀む。もともと自分に与えられたバイトは老人の心疾患に由来するものだったことを飛段は思い出す。殺しても死なないような頑健な男に見えるが、考えてみればいつ死んでもおかしくない年寄りなのだった。この半月まったくそんな心配をしたことはなかったが、もし、今日、あの男が倒れていたら。よりにもよって自分がさぼっているその間に。
 盛り上がり続ける仲間たちを置いて店を出た飛段は、大通りへ戻り、旧市街へと歩きだした。もうかなり遅く、住宅街には暗い家が多かった。ぽつぽつと降り出す雨の中で、飛段は次第に足を速め、最後には走り始めた。闇に響く足音にあちこちの犬が甲高く吠えた。
 いつも早々に灯りを消す老人宅の玄関が明るかった。息を切らせた飛段は呼び鈴も鳴らさずに引き戸をぴしゃりと開け、酸っぱい唾液が口の端から垂れるのを拳で拭いながら靴を脱ぐと、どかどかと廊下を歩いて電気がついたままの居間に入った。遅い時間にもかかわらず普段着のまま自室の椅子にかけていた老人は、黙ったまま肩で息をする飛段を見ていたが、やがてぽつりと言った。
「もう来るまいと思った、が」
 来るぜ、と飛段は唸った。今日は遅くなっただけだ、また絶対に来るからな。そうして飛段はまたどかどかと玄関へ戻り、脱ぎ捨てた靴を履いて再び暗い外へと出ていった。雨に打たれながらも気分は高揚していた。自分は待たれていた。飛段にとって、それはとてつもないことだったのである。



※お題「沈黙」