ハキダメ

ダメ人間の妄想の掃き溜め

ありふれた異端(パラレル)(trash)

考えていたのよりずっと長くなってしまい、しかも終わりませんでした(>_<)ああうう…とりあえずtrashに投げ込んでおきます。





 会社から帰宅しアパートの窓を開けて空気を入れ替えていると、ポケットの携帯からメールの着信音が流れた。時間ができたら電話をちょうだい。この数日間、同文のメールが日に二回ずつ送られてきている。用件は書かれていないが、相手が何を自分に求めているのか角都は知っていた。諦めて電話をかけると相手はすぐに出た。
 角都、あなたなの。
 ああ。
 例の部屋、行ってみてくれた。
 いや。
 早く行ってちょうだい。こちらにまた警察から連絡がくる前に。
 予想通りのやりとりに角都は大きく息をついた。今日は無風で開けた窓からは外の喧騒しか入ってこない。安いアパートの部屋には冷房がついておらず、角都は足の指で扇風機のスイッチを押した。ぬるい風が部屋の中を回り始める。
 なぜ俺に頼む、お前が行けばいいだろう。あるいは弥彦か長門でもいい。
 理由は二つある。まず一つ、あなたが我々の総領だから。二つ、あなたが例の場所に一番近いところに住んでいるから。私たちの誰かが行ったら旅費がかかってしまう。それに長門がすっかり参ってしまって私は彼にかかりきりなの。弥彦は施設をみなければならないし。
 重たい顔を俯けたまま角都は黙り込んだ。小南の無駄のない話しぶりを好いてはいたが、今は早く電話を切りたかった。このところ大きな取引を控えて仕事が多忙になっている。疲労で背中が攣るように痛み、頭痛も慢性化している。この上さらに憂鬱な役割を担いたくはない。だが他の選択肢がないこともわかっている。施設は遠く、不遇の子どもたちは大勢いて、世話をする者は常に足りない。そして自分は確かに彼らの総領なのだった。
 自殺だと言っていたが確かなのか。
 ビルの屋上から飛んだらしいの。下の植え込みに頭から深く刺さっていたので剪定の時まで気づかれなかったんですって。遺骨は役所から送ってもらったけれど、アパートの部屋の始末は、角都、あなたに頼みたい。他人に頼めば金がかかるし、あの子のプライバシーも守りたいから。
 同じ施設の出ではあっても会ったこともない女だ。プライバシーも何も、と考えながらも角都は、わかった、と答えた。答えたとたんに後悔したが、打算がないこともなかった。妹が死んだと言えば会社も休みをくれるだろう。知り合いの古物商に頼めば家具などの物品は簡単に始末できる。高く売れるものがあれば利が出るかもしれない。
 電話を切り、コンビニの袋から弁当を出す。味の濃い総菜を口に放り込みながら、角都は新聞を読む。借金苦で電車に飛び込む者、いじめで首を吊る者、虐待で痩せこけて死んでいく者。戦争や災害でも大勢が死んでいる。角都は感情を移入することなくページをめくる。他人の苦しみを想像できるわけもない、自分もいずれは死ぬのだ。できることなら死体もなく消え失せたい、と角都は考え、そこで初めて花壇に突き刺さって死んだ女のことを少しばかり気の毒に思ったのだった。

 あてが外れたことに、実際に訪ねた部屋には売れるようなものがほとんどなかった。若い娘の部屋だったというのに、箪笥などの家具はおろか洗濯機も冷蔵庫もない。勝手に期待して落胆した角都は警察が遺品を没収したのかと疑ったが、部屋の鍵を開けに来た大家はそれを否定した。
 いやあの子は何も持ってなかったんだよ。布団もうちの古いのをあげるって言ったんだけど断られてね。その毛布をゴミの日に出しておいたら拾ってくれたけど、まあ気位は高かったね。そんなに困ってたんなら相談してくれりゃなんとかできたかもしれないにね。
 そうは言っても家賃は取ったのだろう、と角都は考えた。当然だ、大家は契約に基づいて正しくあの女と付き合ったのだ。迷惑も被ったろうにあの女に同情すらしている。自分よりはよほど人間味がある。
 角都は部屋に残るわずかな衣類や靴、食器や歯ブラシなどの日用品を大家が提供してくれた段ボール箱に詰め、書類に署名をして辞した。段ボールごと捨てるつもりだったそれらをもう一度部屋でゆっくりと眺めたのは多分感傷からだったのだが、角都は物欲によるものと考えた。あいにく品物はみな粗末なものだったが、会社のものらしい反古紙で作られた家計簿には日々の収支がきっちりとつけられていた。角都には女の貧しさの理由がわかったような気がした。最低賃金で働きながら都会で暮らすことは難しい。男がいたならなおのこと。
 ひだん、か。
 角都はそっと呟いた。備忘録を兼ねていた家計簿には同じ名が何度も登場する。飛段と待ち合わせ、飛段と約束、飛段に会う。つましく暮らしながら男に貢ぐとは愚かなことだが、死んだ女は若かったのだ。

 ずいぶん昔のことだが、施設に迷い込んできた野良犬が車にはねられたとき、まだ幼かった長門は瀕死のそれを抱いて声をあげて泣いた。犬はすぐに死んだ。長門の悲嘆は長く続き、角都は「泣いてばかりで意気地がない」と長門を叱って犬の死骸を焼却炉へ捨てた。悲しみから抜け出すための手助けのつもりだった。長門は泣き止んだが、悲しみは彼から去らず、静かに鬱積して心を蝕むようだった。余計なことをした、と角都はひそかに後悔した。
 今も、もはや何も感じない者を弔うのは生きている者の勝手であると角都は考えている。悼みたい者が悼めばいいのだし、そうでない者が列席するのはむしろ冒涜的だろう。それでも角都が黒の上下を着てネクタイを締め、施設の門をくぐったのは、かつて長門へ角都自身がした仕打ちのせいなのかもしれない。記録的な残暑の中、児童福祉施設である暁園は真上からの太陽に照らされて角都の記憶通り黒々と建っていた。狭い園庭にヒマワリと朝顔が植わっている。敷地を囲むフェンスも昔のままで、被覆の剥がれた鉄線が赤く錆びている。これが生垣なら、と角都はぼんやりと考えた。その方が子どもの情操にも良いだろう。だがフェンスの撤去及び植栽にはカネがかかる。つまりは無理ということである。
 会議室と呼ばれている粗末な部屋には白いシーツを掛けた小さな祭壇がしつらえられ、死んだ女の遺影と、角都が前もって送っておいたわずかな遺品が置かれていた。安物の筆記具、ハンカチ、件の備忘録、プラスチックの櫛。女が確かに生きた証としてそれらはあった。祭壇の前に並んだ折りたたみ椅子にはすでに数人が座っている。見知った顔も見知らぬ顔もある。角都同様ここの出身者か新しい職員だろう。角都は上着を脱ぎネクタイを緩めた。礼服を着ている者などいなかったし、冷房のない室内はかなり暑かった。
 角都。
 呼ばれて振り向いた角都は長門の異様な衰弱ぶりにぎょっとした。それが顔に出たのだろう。長門はうつむいたがすぐにまた面を上げた。
 いろいろありがとう。
 礼を言われるようなことはしていない。
 そうか。でも来てくれて嬉しい。今日は泊まっていくのか。
 いや、すぐに帰る。仕事があるからな。
 長門は頷いた。近づいてきた小南が長門の腕を取り、椅子へ誘導する。流れで角都も小南の隣に腰を下ろす。あの子は新しい職員のデイダラ、あれは施設から大学へ進んだばかりのイタチ、と小南が一人ひとりを指し示す。大蛇丸とは連絡が取れなかったのだけれど鬼鮫やサソリは来るらしいわ。あれはあの子のお友だちの飛段という人よ。
 飛段だと。
 ええ。あの子のメモ帳に電話番号があったでしょう。連絡したら来てくれたの。
 派手なオレンジ色のシャツの背中を角都はじっと見た。銀色の髪を後ろへ撫でつけたその男はだらしなく椅子の背に寄りかかり、組んだ足を落ち着きなく揺らしていた。
 遺影の前に立った弥彦が挨拶を始めた。どこか無神経な野太さは昔のままで、角都は少しほっとする。困難を抱えて世界を渡っていくには鈍感さが必要だが、長門は繊細だし小南も思いつめるところがある。熱を帯びた挨拶の最中、扉を鳴らして鬼鮫とサソリが入ってきた。角都はちらりと二人を見た。目礼もしないがこれで十分だ。みなそれぞれでどうにかやっているらしい。角都は再び正面に顔を向け、オレンジ色の背中を見ないよう気をつけながら、青臭い追悼の言葉に耳を傾けた。

 きっかけを作ったのは小南だ。最近はバスの便数がめっきり減ったの、角都、飛段を駅まで送ってくれないかしら。一応疑問形にはなっているが、断られるなどとは露ほども思っていない正面からの要望に、角都は改めてオレンジ色の男を見た。開いたシャツの胸元に大きなペンダントがぶら下がり、黒いズボンは穿き古したのかそういうデザインなのかまだらに色が抜けてあちこちがほころび、くたびれたサンダルを履いている。特に何も答えず角都が車を開錠すると、飛段は遠慮なく助手席に乗り込んできた。
 あーアンタさ、せっかく美人なんだからそんなにケバい化粧しなくっても。
 窓を開けていきなりとんでもないことを言い始めた男に角都は仰天し、ギアを入れるとアクセルを踏み込んだ。勢いで男がフレームに頭をぶつけ、いて、とわめくが放っておく。バックミラーの小南の口が動いているが、角を曲がったのですぐに見えなくなった。角都は急に笑い出したくなったがこらえた。葬儀中はさすがにおとなしくしていたようだが、あんな場面で誰もが口にしなかったことをあっさり言うとはこの男には常識がないらしい。その男が今度は角都を向いている。
 なんだァそれ、オメーの口んとこ縫い目?マジで?
 貴様は口の利き方を知らんな。
 あーそれよく言われるわ。
 シートのリクライニングを思い切り倒した男は、あーあぁつかれたー、と伸びをし、少し黙ったが、すぐにまた長門が痩せすぎだの鬼鮫がでかすぎだのと話しかけてきた。角都はろくに相槌も打たずに聞き流したが相手は気にしないようだった。
 あすこ孤児院?ハァ?なんとか施設ってよくわかんねーぜ。いーよいーよどーせ説明されたってわかんねーしよォ。あの女嘘ばっかついてやがんのかと思ったけどホントのこともあったんだなァ。あぁ?知ってんだろあの女、やけにツンケンしててブスでやせっぽちのあの女、知らねーの?知らねー奴の葬式行ったのかよヒマだなオメー。
 貴様こそ肉親でもないくせにわざわざご苦労様なことだ。
 や、オレは敬意を払おうと思ってさ、死にたい死にたいつっててマジに死んだのあいつだけだからよ。みんな口では言うんだよな、けどめちゃくちゃやってるようでちゃんと生きてんだあいつら。あの女は逆でさ、ちゃんとバイトしてクスリもやんなくてメシも自分で作って食ってて、それなのに死んだんだぜ。スゲーだろ。
 貴様らどういう仲だったんだ。
 それまでぺらぺらしゃべっていた男はこの質問に答えず、急に狡そうな、何かを推し量るような目で角都を見やった。相手を軽薄なだけの男と思っていた角都は不快になり、吐き出すように言葉をつないだ。
 貴様とあの貧乏な女が何をしていたかなど興味はない。だがあの女の覚書には貴様の名が何度も出てきた、あれが死ぬ数日前にも会っていたようだな。貴様ら自殺マニアか?ただの度胸のない死にたがりが傷を舐めあって遊ぶ、そんな馬鹿げたことのために集まって、うっかり死ぬ奴がいると誉めそやしてまた遊ぶんだろう。貴様らはクズだ。あの女もな。クズはクズらしくさっさと死ね。
 細い山間の道はくねって、何度も線路と交差した。今、角都が車を停めた踏切はトンネルのそばに位置していて、竹の棒に色をつけただけの遮断機が通行を遮っている。と、突然男が車から降りて踏切に入り込み、線路上に仰向けになった。角都は唖然とし、次いでやかましくクラクションを鳴らした。男は寝たまま動かない。あたりを見回しても車はおろか人ひとり見当たらない。角都はギアをパーキングに入れて自分も車を降り、トンネルを覗いた。汽笛を鳴らしながら大きな質量が近づいてくる。風が吹く。
 糞が、と角都は怒鳴り、遮断機を越えると男の髪をつかんで踏切から引きずり出した。けたたましい音を立てて列車が通り過ぎる。角都は男を殴り、腹を蹴った。殴られながら男が笑う。
 ゲハハハ、ハハ、てめェ死ねっつったろーがバカじゃねー、ゲハハハ。
 貴様、いつか必ず殺してやる。
 あー、殺せるもんなら殺してほしいぜホント、ハハ、ハァー。
 地面に転がる男をもう一蹴りして、角都は震える両手を握りしめた。動揺している自分に動揺していたが、自分が何かに巻き込まれてしまったことにはまだ気づいていなかった。